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二条定高 建久元(1190)~暦仁元(1238)年1月22日 父は参議九条光長。母は兵部大輔藤原朝親の娘。兄の参議海住山長房の子となる。初名為定、また経光。六位蔵人に任じた後に近江・伊賀・越後・肥前の国司を歴任。承元三(1209)年、義父長房が参議を辞した替わりに、五位蔵人を経ずに右少弁となる。このとき実兄宣房も権右中弁であった。兄弟はともに弁官を昇進するが、宣房は参議にならぬまま退官。定高は建保六(1218)年に参議となって公卿に列した。常に定高と相並んで弁官を務めていたのが葉室宗行で、定高が宗行の譲りをうけて従四位下に叙されるなど、両者はたいへん親しかったらしい。定高の姉妹が宗行の義弟宗方の室になっていることは、このことと関係があるのだろう。参議になったのは後鳥羽上皇の近臣である宗行の方が四年早いが、就任時の年齢で比べると宗行は四十歳で定高は二十九歳である。いかに定高の昇進が順調であったか分かるだろう。承久二(1220)年に権中納言。承久の乱後は九条道家に重用され、政治顧問の最上位を占めた。幕府との交渉は専ら彼が行なうところとなり、実質的な関東申次であった。義父長房は承久の乱の折、後鳥羽上皇をいさめて出家している(1)。この点を幕府に評価されたのかもしれない。二条東洞院に屋敷があったので二条と号した。後鳥羽上皇の皇女で齋宮を務めた煕子内親王をここに引きとっている(2)。また深草にも邸宅があった(3)。 『小槻季継記』 『類聚大補任』七 佐渡天皇 齋宮 『玉蘂』嘉禎三年正月十七日 (本郷和人)
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葉室宗行 承安四(1174)~承久三(1221)年7月14日 父は左大弁藤原行隆、母は典薬助藤原行兼の娘で、美福門院・八条院に仕えた女房越前。初名行光。一門の権大納言葉室宗頼(葉室光親の叔父)の養子となり、宗行と改名。宗頼、宗頼の妻頼子(のち離別)はともに八条院に仕えていたので、宗行は母の縁故で宗頼に迎えられたのだろう。建保二(1214)年に参議、同六(1218)年に権中納言。中御門中納言と称した。養父宗頼は後鳥羽上皇に接近し、正治元(1199)年ごろには上皇の乳母卿二品と結婚した。これに伴い宗行も重用されるようになり、一門の葉室光親と同じく、実務官として活躍した。上皇に『貞観政要』を講じたという著名な挿話(1)もこのころのことであろう。承久の乱にも深く関与し、乱後幕府に捕えられる。鎌倉に送られる途中駿河国で斬られた。 『明月記』建保元年七月三日 (本郷和人)
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力に選ばれたもの 鷹取舞は胸ポケットから出したビーコマンダーを見て、やはり自分は殺し合いができるような性格じゃないことを再確認した。 彼女は、ビーファイターだ。自然と生物を愛する心が認められ、重甲する権利が得られたもの。 このビーコマンダーを誰が悪用できるものか。 むろん、倒すのはビッグバン。この場所に舞を連れてきた張本人だ。 「ナンカ島桐、れみす崎神、らくさ寺宮真、ナバチタ・アリマ、アヰリス・シャトーブリアン、李紅蘭……この名前、どっかで見たことあるな~……」 舞が今いるのは大帝国劇場。綺麗な舞台があり、広い客席がある。 とにかく建物自体が大きく、舞もこの舞台に立ってみたい──とちょっと乙女の夢を思ったりもする。 舞台以外にも、役者の宿舎となっているようで、色んな部屋があった。ちょっと覗いたところ、売店にはポスターやパンフレットがあったので拝借し、今は役者の一人と思われる人物の部屋にいる。 イメージ的には、「アヰリス・シャトーブリアン」という金髪の少女の部屋がピッタリだ。ぬいぐるみだらけで、洋風の豪華なベッドがある。 そのベッドに座り、舞は「シンデレラ」のパンフレットを眺めていた。 「綺麗な人だなぁ……うん……? この名前、名簿に……」 「らくさ寺宮真」を逆から読むと、「真宮寺さくら」という名前になることにようやく気付いて、舞は名簿を読み始めた。 真宮寺さくら、イリス・シャトーブリアン、神崎すみれ、桐島カンナ、マリア・タチバナ、李紅蘭──いずれも、名簿に名前がある人たちだ。つまり、殺し合いゲームの参加者──。 つまり、この人たちはここにいるということだ。もしかしたら、この部屋の主もいるかもしれない。 「……っていうことは、つまり──」 パンフレットの製造された日付を見る。「太正拾弐年四月」。こんなパンフレットに載っている人がここにいるということは、つまり……。 「私、タイムスリップしちゃったの!?」 見渡すと、この劇場の姿は結構古臭かった。豪華だが、彼女の来た時代より大分前の雰囲気がある。 江戸時代よりは後──明治か、大正くらいだろうか。 そういえば、このパンフレットには「太正」と書いてある。 「太正……? 大正じゃなくて?」 全てのパンフレットに、この年号が書いてある。ミスではなさそうだ。 年号に旧字体などはあるのだろうか? このパンフレットからだけで、色んな情報と疑問が増える。 この劇場のスタアが参加していること、彼女たちの顔、自分がタイムスリップした可能性があること、太正時代の謎──。 この劇場は、もっと探ってみる必要がありそうだった。 【1日目 深夜/G-7 大帝国劇場・アイリスの部屋】 【鷹取舞@重甲ビーファイター】 【状態】健康 【装備】ビーコマンダー@重甲ビーファイター 【道具】基本支給品一色、ランダム支給品0~2、花組出演作品のパンフレット@サクラ大戦 【思考・状況】 基本行動方針:ビッグバンを倒す。 1:自分たちはもしかしてタイムスリップした? 2:太正時代とは何だろうか? ※花組パンフレットより、大神以外のサクラ大戦キャラの顔と容姿がわかるようになりました。 ※花組パンフレットの年号より、自分がタイムスリップした可能性があると思っています。 ★ ★ ★ ★ ★ 「ここはただの劇場じゃない……」 姫矢准は、舞と同じ劇場の地下を徘徊していた。 プールや訓練室、シャワー室があるのはまだ理解できる。 ──が、なぜかこの劇場には「作戦司令室」があった。 ただの劇場に、何故そんな施設が……? 「TLTの基地じゃなさそうだな……武装が違う」 ここのデータを見る限り、ここにいた集団は「光武」という蒸気と霊力で動く甲冑を使って戦っているらしい。 その名は、「帝国華撃団」── 「表向きは帝国歌劇団という劇団、裏では帝国華撃団という軍人……」 TLTと繋がりがないとは思えない。ナイトレイダーの別動体だろうか。 また、それなら何故堂々と歌劇団などをやる必要がある……? データを見る限りでは、どうやら隊員は七名。それぞれ苗字や下の名前しか表示されていないが、それは全員この場にいる──名簿に載っている名前である。 「大神」、「さくら」、「すみれ」、「カンナ」、「マリア」、「アイリス」、「紅蘭」──アイリスという名前は見当たらないが、「イリス」という名前がそれに近い。 ここから出て、その人たちと合流し、なるべくなら話を聞いておきたい。おそらくは、スペースビーストと敵対する組織──無論、ウルトラマンとも。 だが、そんな組織が殺し合いに乗るかというと、半々というところだろう。弧門のように正義感で動く人間もいる。反面、組織には仕事で動いている人間もいるのが事実だ。 ともかく、そういう人間をあしらうことなら得意だ。 (とりあえずは帝国華撃団や弧門と合流だな……) 【1日目 深夜/G-7 大帝国劇場地下・作戦司令室】 【姫矢准@ウルトラマンネクサス】 【状態】健康 【装備】エボルトラスター@ウルトラマンネクサス 【道具】基本支給品一色、ランダム支給品0~2 【思考・状況】 基本行動方針:殺し合いからの脱出。 1:帝国華撃団や弧門と合流する。 ※大帝国劇場作戦司令室より、帝国華撃団や光武のデータを得ました。 042 シザースが残したもの 投下順 044 ふたりのバトロワ 042 シザースが残したもの 時系列順 044 ふたりのバトロワ 初登場 鷹取舞 073 優しき戦士と誇りの戦士 初登場 姫矢准
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武将名 ほうじょうよしとき 王に勝る果報 北条義時 統一名称:北条義時 生没年:1163~1224「不穏分子は排除する。 俺がやらねば、鎌倉は滅びる」北条時政の次男。二代執権。宿老御家人による十三人の合議制に加わり、父や和田一族を失脚させ執権政治の基礎を作る。さらに藤原頼経を傀儡の将軍に迎え、裏で政務を独占。承久の乱に勝利して幕府の公家政権に対する支配関係を確立した。 勢力 蒼 時代 平安 レアリティ SR コスト 2.5 兵種 槍兵 武力 8 知力 8 特技 先陣 計略 得宗の指顧(とくそうのしこ) 蒼の味方の武力が上がり、敵を撃破するたびに対象の味方全ての兵力が回復する 必要士気 7 効果時間 知力時間 Illust. 平坂康也 声優 江越彬紀 計略内容 カテゴリ 士気 武力 知力 速度 兵力 効果時間 備考 号令 7 +5 - - 1部隊撃破で+25% 10.8c(知力依存0.2c) 蒼の味方限定 (最新Ver.2.0.0H) 調整履歴 修正Ver. 変更点 内容 備考 Ver.2.0.0F 効果時間 10.8c → 11.3c ↑ - Ver.2.0.0H 効果時間 11.3c → 10.8c ↓ - 所感 蒼の2.5コスト槍兵で武力8、知力8とバランスの取れたスペックを持つ。 特技「先陣」で中盤までは武力9、知力9と3コストに匹敵するため、開幕のぶつかり合いに強い。 計略「得宗の指顧」は蒼の味方の武力が上がり、敵を撃破するたびに対象の味方全ての兵力が回復する号令。 計略時間もそこそこ長く、撃破時の兵力回復量はそれなりにあるため、継戦能力が高い。 相手の攻めをいなしつつ効果時間の差で相手側の計略が切れたところを撃破すればカウンターで攻め込める。 ただし、士気7の大型計略であるにも関わらず武力上昇値が士気6号令と同等で、戦闘を強化する効果もない。 そのため、この計略単体で同程度の士気を使った敵を一方的に撃破するのは難しい。 また、兵力回復は敵を撃破できればの話であるため、1部隊も撃破できなければただの号令と変わらない。 敵部隊を撃破していくために、他の計略や戦器と併せていきたい。 解説 鎌倉十三人衆の一人にして、得宗北条家2代当主兼鎌倉幕府2代執権。 2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公として選ばれたことで知名度を上げている。 源頼朝の血脈(源氏将軍)が断絶した後の鎌倉幕府において、事実上の指導者として君臨していた。 彼の死後も一族は執権として幕府を取り仕切っているが、4代目以降は近親婚を繰り返していたとされ短命だったという。 また、二つ名「王に勝る果報」及び落城時のセリフ「前世より~」は、軍記物語「承久記」において承久の乱での戦勝報告に対して義時が述べたとされる、 「この義時の前世からの果報が王(後鳥羽上皇)に勝っていたのだ」(要約)という言葉からだろう。 カードイラストに、13星座占いの「みずがめ座」の意匠が描かれている。(背景の夜空の星座・服に描かれた逆さになった水瓶の意)) 大戦シリーズにおいて 台詞 \ 台詞 開幕 不穏分子は排除する。俺がやらねば、鎌倉は滅びるのでな 計略 俺が許可する。不穏分子を排除せよ! └絆武将 北条が頂点に君臨する!敵を根絶やしにせよ!! 兵種アクション 消えてもらおう 撤退 目が…見えぬ 復活 仔細ない 伏兵 板東武者を舐めるなよ 攻城 脆弱な志と砦だな 落城 前世より……この義時の果報が貴様の果報に 勝(まさ)っていたのだ 贈り物① 少しお前の側で休ませてくれ。鎌倉では安心して眠れなかったのでな······ 贈り物② 北条の魂はこの左目にあり。あとの五体は敵を排除するための武器でしかない。 贈り物(お正月) 新しき世など無い。新しき支配者が君臨するのみ。 贈り物(バレンタインデー) こんなものを渡して、何が目的だ? 贈り物(ホワイトデー) 深く繋がると、別れが惜しくなる。お互いにな…… 贈り物(ハロウィン) 皆が笑い、父が騒ぎ、妹が怒る……なんだか懐かしいな…… 友好度上昇 仔細ない 寵臣 天の時は来た!我らで総仕上げを行う! └特殊 - 贈り物の特殊演出 ① 対象武将:蒼070阿波局 蒼079北条時政 会話武将 台詞 ② 対象武将:蒼080北条政子 会話武将 台詞 蒼080北条政子 その左目、冴えた星というよりは蛍のようなやわらかい光をしているな。 蒼080北条政子 いにしえの歌詠みの目には、蛍の光は身体を抜け出た魂に見えたのだそうだ。 蒼080北条政子 ……どうにも、懐かしくなっていけないな。 蒼082北条義時 ……姉上、今日は口数が特に多いですね。 蒼080北条政子 ふ、お前の目が語るから、私はそれを言葉に起こしているだけだ。不服なら自分で話せ。 情報提供・誤った点に気付いた等、何かありましたら気楽にコメントしてください。 名前
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ワン・ツー・ツー・ワン承久の乱(ワン・ツー・ツー・ワン・じょうきゅうのらん)とは、語呂合わせである。 概要 「東大生が年号の語呂合わせを考えたらクセ強すぎww一番覚えやすい語呂はどれ?」にて、企画発表後のオープニングトークで須貝駿貴が一番好きな語呂合わせとして発表した。 当人は、中学時代にこの語呂合わせを聞いて大感動をしたとのエピソードも併せて紹介している。 しかし、この企画の一問目のお題は「承久の乱」であったため、完全にネタの出し損となってしまった。 ……と思われていたが、回答のトリを飾った須貝は大方の予想を裏切らず、「ワン・ツー・ツー・ワン承久の乱」と威勢よく回答した。 この異常に耳に残るフレーズの大きな要因は、ワン・ツー・ツー・ワン承久の乱と韻を踏んでいるためであると考えられる。 QuizKnock STADIUMでは 期間限定のモード『スターコレクション』にて1回プレイをすると、このスタンプ(1221)が入手できる。 関連動画 リンク 承久の乱(Wikipedia) 関連項目 須貝駿貴 QuizKnock名場面集 須貝駿貴が「ワン・ツー・ツー・ワン承久の乱」登場の動画を振り返る その他の登場回 QuizKnock名言・名場面カルタで遊んでみた【50万人ありがとう】 2019/01/20 【検証】東大生なら冬休みの宿題30分で終わるのか?中学生の宿題を3人でガチチャレンジ 2019/01/24 全問題を丸暗記すればクイズ王に勝てるのか?【クイズ王への道】 2019/03/24 赤点を回避したい!クイズ王にテストの問題を変えてもらおう!! 2019/12/17 【伏線回収】地頭力No.1決定戦【早押し】 2020/02/11 朝からそれ正解がクイズになりました!!【早押し】 2020/03/08 コメント 名前 コメント
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葉室光親 安元二(1176)~承久三(1221)年7月12日 父は権中納言光雅、母は右大弁藤原重方の娘。承元二(1208)年に参議、建暦元(1211)年に権中納言。はじめ近衛家に仕え、やがて後鳥羽上皇の信任を得る。後世、院の執権は光親に始まるといわれる程(1)、上皇に重用された。上皇の妃修明門院や順徳上皇にも近侍し、また妻の経子(参議藤原定経の娘、吉田為経の叔母)と娘の満子はともに順徳上皇の乳母であった。承久の乱の首謀者の一人で、北条義時追討の院宣の奉者にもなっている。実は討幕に反対であったともいうが(2)、光親室が預所だった河内国甲斐庄で軍勢が集められている事実もあり(3)、確証はない。乱後捕えられ、駿河国で斬られた。法名は西親。 『小槻季継記』 『吾妻鏡』承久三年七月十二日 『鎌倉遺文』4512号 (本郷和人)
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中原親能(なかはらの ちかよし)日本1143~1209統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------官人、文官御家人。大江広元の兄弟ともされる。源雅頼の家人となり後白河院に仕えたが、源義経と共に上洛する。一ノ谷の戦いに参加した後、源頼朝の上洛に従うと、京都守護、政所公事奉行を務め、十三人の合議制にも名を連ねた。 二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)日本????~????(13世紀)統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------公家。鎌倉幕府の源氏家令を務め、奥州合戦の状況を朝廷に報告している。政所執事となり、以降は二階堂氏の世襲となる。十三人の合議制にも名を連ねる。 日蓮(にちれん)、立正大師日本(安房国長狭郡東条郷片海)1222~1282統率:C 武力:C 政治:B 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------日蓮宗(法華宗)の開祖。はじめは比叡山、高野山で学び、法華経こそが釈迦の本懐であると、「南無妙法蓮華経」を唱える宗派を開く。後に幕府によって伊豆国伊東、佐渡へ流罪となった。また、身延山を寄進され身延山久遠寺を建立した。 如信(にょしん)日本1235~1300統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第2世法主。善鸞の子で、親鸞の孫に当たる。父と共に関東で布教活動を行なった。 畠山重忠(はたけやま しげただ)日本1164~1205統率:B 武力:A 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------御家人。畠山重能の子。源頼朝の挙兵に、はじめ敵対するが後に従い、治承・寿永の乱(源平合戦)で活躍し、奥州合戦でも先陣を務めた。比企能員の変では北条氏に協力したが、逆に北条時政の謀略で謀反の疑いをかけられて攻め滅ぼされた(畠山重忠の乱)。 八田知家(はった ともいえ)日本1142~1218統率:B 武力:B 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------御家人。宇都宮宗綱の四男。源頼朝の挙兵に早くから参加するが、源義経が無断任官した際に自身も右衛門尉に任官したため非難された。しかし、奥州合戦で東海道大将軍に任じられ、常陸守護に補任された。十三人の合議制に参加し、源頼家の命で阿野全成を誅殺した。 比企能員(ひき よしかず)日本(鎌倉比企ヶ谷)1182~1203統率:B 武力:C 政治:A 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府の有力御家人。源頼朝の乳母である比企尼の甥に当たり、頼朝に重用されて奥州合戦や大河兼任の乱に参陣する。上野国・信濃国守護に任命され十三人の合議制にも加わる。源頼家の乳母父となり、娘の若狭局が頼家の側室となるが、対立する北条時政の陰謀(比企能員の変)で討たれた。 平賀朝雅(ひらが ともまさ)日本????~1205統率:C 武力:B 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------御家人。平賀義信の次男。武蔵守。三日平氏の乱では平家の残党を鎮圧して伊勢・伊賀の守護に任命される。しかし、畠山重忠、重保父子を排斥するために讒言して畠山重忠の乱で討伐する。その後、源実朝を廃して鎌倉殿として擁立しようとした牧氏事件が起きると北条義時の命で殺害された。 藤原頼嗣(ふじわらの よりつぐ)、九条頼嗣(くじょう よりつぐ)日本1239~1256統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第5代将軍。五摂政家の九条家の出。藤原頼経の子。父が将軍を辞したため、僅か6歳で征夷大将軍となる。後に将軍職を解任され、京に追放される。 藤原頼経(ふじわらの よりつね)、九条頼経(くじょう よりつね)日本1218~1256統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第4代将軍。五摂政家の九条家の出。源頼朝の妹の曾孫に当たる。源頼家の娘・竹御所を妻に迎え、翌年、征夷大将軍に就任する。北条氏の傀儡だったが、権大納言にまで昇格する。後に執権の北条時経との関係が悪化し、将軍を辞し、出家した。 北条重時(ほうじょう しげとき)日本1198~1261統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第2代連署。第3代六波羅探題北方。執権・北条義時の子で、北条泰時の弟。初代執権・北条時政の孫で北条政子の甥に当たる。家訓として『極楽寺殿御消息』、『北条重時家訓』などを残す。 北条経時(ほうじょう つねとき)日本(伊豆国)1224~1246統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第4代執権。3代執権・北条泰時の孫で、北条時氏の子。父が早くに没したため評定衆となり、泰時が死ぬと執権に就いた。4代将軍の藤原頼経との関係が悪化したため、辞任に追いやり、藤原頼嗣を擁立した。後に病にかかり、執権職を弟の時頼に譲り、出家する。 北条時氏(ほうじょう ときうじ)日本(伊豆国)1203~1230統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条泰時の嫡子。承久の乱が起きると父・泰時と共に従軍し、新たに設置された六波羅探題北方の初代となる。4代執権と目されていたが、病のために就くことなく没する。 北条時房(ほうじょう ときふさ)日本1175~1240統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条時政の三男で、北条義時の弟。奥州合戦に従軍し、和田合戦にも出陣する。源実朝が暗殺されると、京に上洛して摂家将軍となる藤原頼経を鎌倉に連れ帰る。承久の乱が起こると上洛し、初代六波羅探題南方となり、初代連署となる。 北条時政(ほうじょう ときまさ)日本(伊豆国)1138~1215統率:B 武力:D 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------伊豆の豪族。平家に追われた源頼朝を匿った。娘の政子を頼朝に嫁がせて鎌倉幕府の初代執権となる。頼朝の命を受け、朝廷と交渉して各地に守護・地頭を設置させた。梶原景時、比企能員、畠山重忠など多くの政敵を排除し、後妻の牧の方と共に平賀朝雅を将軍に擁立するが、失脚して隠居する。 北条時宗(ほうじょう ときむね)日本(相模国鎌倉)1251~1284統率:A 武力:D 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第8代執権。5代執権・北条時頼の子。宗尊親王の廃位と惟康親王の擁立を行なった。元寇(文永の役、弘安の役)があり、2回とも元の侵攻を退けた。 北条時頼(ほうじょう ときより)日本1227~1263統率:B 武力:D 政治:A 知力:A 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第5代執権。3代執権・北条泰時の孫で、北条時氏の子、北条経時の弟。病となった兄・経時に執権職を譲られる。政治の公正や迅速化を図り、庶民への保護政策を行なった。質素かつ堅実で、宗教心に厚く、善政を敷いた明君と評された。 北条長時(ほうじょう ながとき)、赤橋長時日本1229~1264統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第6代執権。北条重時の子で、2代執権・北条義時の孫。評定衆、第4代六波羅探題北方を歴任し、宗尊親王の将軍擁立を画策した。北条時宗を執権職に就けるための中継ぎとして執権に就いた。 北条政子(ほうじょう まさこ)、尼御台(あまみだい)日本(伊豆国)1157~1225統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------源頼朝の正室。北条時政の娘。息子の頼家、実朝の死後も藤原頼経の後見となって幕政に関与し『尼将軍』と呼ばれた。 北条政村(ほうじょう まさむら)日本1205~1273統率:D 武力:D 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第7代執権。2代執権・北条義時の子で、北条泰時・重時の弟。引付衆、評定衆、連署を歴任した後に執権職に就く。将軍・宗尊親王の京都更迭に関わった。後に執権職を北条時宗に譲り、再び連署となった。 北条宗政(ほうじょう むねまさ)日本1253~1281統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府の評定衆。5代執権・北条時頼の三男で、北条時輔、8代執権・北条時宗の弟。元寇の際に、兄、時宗の名代として出陣する。右近衛将監、武蔵守、筑後守護を歴任する。 北条泰時(ほうじょう やすとき)日本1183~1242統率:A 武力:C 政治:A 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第3代執権。北条義時の嫡男。承久の乱において幕府側の総大将を務め、宇治川の戦いで勝利した。幕府に評定衆、執権補佐の連署を設置し、『御成敗式目』を制定し、鎌倉の都市整備を行なった。 北条義時(ほうじょう よしとき)日本1163~1224統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第2代執権。北条時政の次男で、北条政子の弟。早くから源頼朝に従い、平家討伐、奥州藤原氏討伐に参加した。和田合戦に勝利し、後鳥羽上皇が倒幕の軍勢を上げる(承久の乱)と嫡男北条泰時を総大将として勝利を収める。 法然(ほうねん)、源空、円光大師日本(美作国久米)1133~1212統率:B 武力:E 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------浄土宗の開祖。浄土真宗七高僧の一人。はじめ比叡山で師事していたが、山を下りて念仏の教えを広めた。後に延暦寺より専修念仏の停止を迫られ、土佐に流された。 牧の方(まきのかた)日本????~????(13世紀)統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------北条時政の継室。牧宗親の娘(もしくは妹)。娘婿の平賀朝雅が畠山重保を讒言したため、夫の時政に畠山重保を討たせた(畠山重保の乱)。将軍・源実朝を殺害して平賀朝雅を将軍に据えようとしたが、失敗して伊豆に流された(牧氏事件)。 三浦胤義(みうら たねよし)日本????~1221統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府の御家人。三浦一族の武将で、三浦義澄の九男。畠山重忠の乱や牧氏事件などに参加し和田合戦で認められ、検非違使判官となる。後鳥羽上皇の倒幕計画に参加し、兄の三浦義村に攻められて自害した。 三浦義澄(みうら よしずみ)日本(相模国三浦郡)1127~1200統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------御家人。相模守護。平治の乱では源義平に従い、源頼朝挙兵後に畠山重忠と衣笠城合戦を戦う。その後も一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦い、奥州合戦などで武功を挙げた。十三人の合議制に加わり、梶原景時の乱で梶原景時を鎌倉から追放した。 源実朝(みなもとの さねとも)日本1192~1219統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第3代将軍。源頼朝と北条政子の子で、頼家の弟。頼家の追放後、征夷大将軍となるが、政治は北条氏が務めた。後に、政治へ介入し、武士として始めて右大臣に任ぜられるが、翌年に鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺された。歌人として優秀で、『勅撰和歌集』に入集し、『小倉百人一首』にも選ばれている。 源頼家(みなもとの よりいえ)日本1182~1204統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第2代将軍。源頼朝と北条政子の長男。父の急死で征夷大将軍となるが、妻・若狭局の実家の比企家を重用したため、母方の北条家の反発を買う。比企能員の変の後は、修禅寺に幽閉され、翌年に暗殺される。子供の面倒見は良かった。 明恵(みょうえ)、栂尾上人、高弁日本(紀伊国)1173~1232統率:D 武力:E 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------華厳宗の僧。仁和寺や東大寺で真言密教や華厳を学んだ。後に後鳥羽上皇から山城国栂尾(とがのお)を下賜されて高山寺を開山する。『摧邪輪(ざいじゃりん)』、『四座講式』、『夢記』などを著する。 三善康信(みよしの やすのぶ)日本1140~1221統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------下級貴族の出で、源頼朝が伊豆に流された後も京都の情勢を伝えていた。鎌倉幕府が開かれると、初代問注所執事となる。頼朝死後は十三人の合議制に参加し、承久の乱では即時出兵論の大江広元を支持した。 宗尊親王(むねたかしんのう)日本1242~1274統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------鎌倉幕府第6代将軍。後嵯峨天皇の皇子で、後深草天皇、亀山天皇らの異母兄。初の皇族将軍。しかし、実権は北条氏にあった。このため、和歌に打ち込み、『続古今和歌集』最多入選の歌人となった。後に幕府転覆を狙ったが、京都に更迭された。 毛利季光(もうり すえみつ)、大江季光日本1202~1247統率:C 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------毛利季光の四男。宝治合戦によって父や兄など一族の大半が討ち死にし、相模国毛利庄の領地を失う。かろうじて安芸国吉田荘の領有は許され、安芸毛利家2代当主となる。右近将監。 毛利経光(もうり つねみつ)日本????~????(13世紀)統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------第87代天皇。後堀河天皇の第一皇子。2歳で天皇位を譲渡され、後堀河上皇の院政の後、外戚の九条道家や西園寺公経が事実上政務を行っていた。しかし、若くして崩御してしまう。 和田義盛(わだ よしもり)日本1147~1213統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------御家人。三浦一族の出で、源頼朝挙兵に従い、初代侍所別当となる。治承・寿永の乱や奥州合戦で軍功を挙げ、梶原景時の乱、比企能員の変、畠山重忠の乱などでは北条氏に与した。十三人の合議制にも名を連ねたが、北条義時の挑発を受け、和田合戦で敗死し一族も滅亡した。
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もしも!? 裁判員に選ばれたら… タカラトミーより2008.11.27発売のDS用ソフト 裁判員制度の疑似体験ソフト
https://w.atwiki.jp/kyoto-database/pages/101.html
飛鳥 603 推古11 秦河勝、太秦蜂岡寺(広隆寺)を建立 678 天武7 賀茂別雷神社(上賀茂神社)が創建されたという 奈良 711 和銅4 深草の秦氏によって伏見稲荷大社が創祀される 784 延暦3 乙訓郡長岡京?に遷都する 788 延暦7 最澄が現在の延暦寺の根本中堂となる一乗止観院を建立 平安 794 延暦13 桓武天皇が平安京?に遷都する 798 延暦17 延鎮を開基に坂上田村麻呂が清水寺を建立 823 弘仁14 朝廷より空海が東寺を賜る 869 貞観11 この頃祇園御霊会(祇園祭?)が始まったという 874 貞観16 聖宝が醍醐寺を開く 876 貞観18 大覚寺創建、八坂神社創祀 888 仁和4 宇多天皇が仁和寺を創建 905 延喜5 醍醐天皇の命により、紀貫之、紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒が古今和歌集を編纂 947 天暦1 北野天満宮?が造営される 951 天暦5 空也?、六波羅蜜寺?を建立、醍醐寺の五重塔が建立 970 天禄1 この頃より祇園祭?が毎年行われるようになる 980 天元3 羅城門が強風により倒壊、以後再建されていない 1052 永承7 藤原頼通?が宇治殿を平等院に改める 1053 天喜1 平等院鳳凰堂が建立される 1086 応徳3 白河上皇よって院政が開始される 1175 安元1 法然?、浄土宗?を開く 鎌倉 1202 建仁2 栄西、最初の禅寺である建仁寺を創建 1205 元久2 後鳥羽上皇の命により、藤原定家?らによって新古今和歌集が編纂される 1221 承久3 承久の乱起こる、六波羅探題設置 1236 嘉禎2 東福寺が創建される 1325 正中2 大徳寺が創建される 室町 1334 建武1 五山制度?が定められ南禅寺が第一位とされる 1339 暦応2 足利尊氏が天龍寺を建立、夢窓疎石、西芳寺(苔寺)を復興 1374 応安7 観阿弥?・世阿弥?が新熊野神社にて猿楽を演じる 1382 永徳2 足利義満が相国寺の建立に着手 1397 応永4 足利義満が北山殿(のちの金閣寺)の創建を始める 1450 宝徳2 細川勝元、龍安寺を創建 1467 応仁1 応仁の乱起こる 1482 文明14 足利義政、東山殿(のちの銀閣寺)の造営を始める 安土桃山 1582 天正10 本能寺の変、豊臣秀吉入京 1590 天正18 秀吉、京都の改造に着手し、諸寺院を寺町・寺之内に移転させる 1591 天正19 秀吉、京都の周辺に御土居?を築く、千利休?失脚 1596 慶長1 秀吉の伏見城が完成 1598 慶長3 醍醐寺で醍醐の花見が催され、三宝院表書院ができる 江戸 1602 慶長7 教如が東本願寺を建立し、本願寺が東西に分裂する 1603 慶長8 徳川家康が二条城に入る 1611 慶長16 角倉了以、高瀬川開削に着手 1614 慶長19 方広寺?の梵鐘が完成するも、家康が開眼供養の延期を命じる 1615 元和1 本阿弥光悦?らが鷹峯に移転し芸術村を作る 1641 寛永18 石川丈山?が詩仙堂を建立して隠棲する 1644 寛永21 徳川家光の寄進により、東寺の五重塔が再建される 1691 元禄4 松尾芭蕉が落柿舎?で『嵯峨日記』を著す 1708 宝永5 油小路姉小路から出火し、京都の中心部のほとんどを焼失する 1864 元治1 池田屋事件、禁門の変?が起こる 1867 慶応3 二条城で徳川慶喜が大政を奉還する 明治 1868 明治1 明治維新、京都府の誕生 1872 明治5 第1回京都博覧会が開催され、都をどり、鴨川をどりが始まる 1885 明治18 琵琶湖疏水?工事の起工式が行われる 1895 明治28 わが国最初の路面電車が敷設、平安遷都1100年記念祭が開催される
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猫に選ばれし者 アイドレスWiKiの該当ページ L:猫に選ばれし者 = { t:名称 = 猫に選ばれし者(職業) t:要点 = 10円金貨,猫耳安全ヘルメット,箒 t:周辺環境 = 猫の通り道 t:評価 = 体格5,筋力5,耐久力4,外見3,敏捷4,器用2,感覚2,知識3,幸運5 t:特殊 = { *猫に選ばれし者の職業カテゴリ = 派生職業アイドレスとして扱う。 *猫に選ばれし者は猫語がわかるようになる。 *猫に選ばれし者は猫の国へ行くことが出来る。 } t:→次のアイドレス = 猫の国の冒険(冒険),ダンディーキャット(ACE),猫魔法使い(職業),猫のお手伝い(イベント) } 派生 猫の通り道→猫溜り